川の流れはヴァイオリンの音

 1981年の第一回放送から30年たった。

 2010年の6月、4人の若い日本の女性がぼくの工房に訪ねてきた。
 一人は日本から、一人はフィレンツェ、一人はミラノ、
 もう一人はクレモナ近郊から皆クレモナで落ち合ってきたのである。
 目的はヴァイオリン工房見学だったがまたの大きな目的は
 「川の流れはヴァイオリンの音」のロケ現場を見たい、
 それにできることならヴィア デル サーレ(塩の道)の道標のあるところを見たい
 とのことでぼくがご案内することになっていた。時の流れは速いものいである。
 ただ放送から30年過ぎてもこうして覚えていてクレモナまで足を運んでくれると
 本当に嬉しくなる。
 テレビドラマなどはたいていすぐに忘れてしまわれるものである。
 こうして意外にも見た事を覚えている人たちが多いこと、
 また誰かから伝え聞いてビデオを見てくれる人が多いことは
 それだけ印象に残る作品だったとも言えると思う。
 ぼくにとってもわが人生の中で忘れられないまたわが人生を大きく変えてくれた
 作品でもある。

 「川の流れはヴァイオリンの音」のロケは1980年10月初めにクレモナで始まった。
 そして約20日間のごく短い時間でロケ終了。スタッフはクレモナを離れた。
 霧の深い日が多く撮影には難渋したのだがこの短い期間にまわしたフィルムは
 50時間に及んだ。放送時間は80分だった。
 ぼくは1980年の12月、日本に行き一ヶ月間NHKの編集室で
 名編集者松本哲夫さん(松ちゃん)と編集の作業をした。
 当時ドラマロケの撮影にはスイス製の16ミリカメラ・アリフレックスで
 今のデジタルカメラと違ってフイルムだから映像と音声を同期させなくてはいけな
 かった。ほんの0.1秒の違いでもゆるされない。
 また松ちゃんはイタリア語は全く駄目なのでフイルムをカットする瞬間が難しかった。
 長時間のフイルムを切り捨てて80分にするのだから
 言ってみればほとんど捨てることになる。
 ぼくと松ちゃんは何度涙をこらえながらカットしたことだろう。
 またカットされた中にぼくのつまり石井 高の映像も多く含まれていた。
 最初の佐々木さんの台本では僕が副主人公となり
 そのつもりで撮影していたのである。

 ところが僕がNHKの小さな編集室で松ちゃんと映像を見ているとぼくがよく出てくる。
 撮ったのだから当然だが全く演技がお粗末で下手で見ていられない。
 映像のぼくを見る度に悪寒がしてとても耐えられなくなったので
 ぼくの出演画面をぜんぶカットすることにした。
 松ちゃんは「本当にいいんですか?」と一応聞いてくれて
 「ああこう言ってくれてよかった」という顔をしてカットに賛成してくれた。
 このお陰である。芸術祭大賞を得たのは。
 しかしそれではあんまりだとの佐々木さんの意見でほんの一瞬だけ
 僕がA子さんの前でヴァイオリンを弾く場面だけいれた。
 これは今思うとそうしてもらってよかった。
 当時の若い僕が出ているからである。今クレモナで見ていると
 「あのヴァイオリニストは誰?」と僕に聞く人もいる。
 撮影は当時NHKにいたフイルムカメラマンの葛城哲郎さんが担当だった。
 その前の「四季・ユートピアーノ」はもうひとりのカメラマン吉田秀夫さんだった。
 吉田さんは後に千住真理子さんと一緒にでた番組の担当になったが
 このふたりとも未だに親しくおつきあいしている。

 「川の流れはヴァイオリンの音」のスタッフとはミラノ空港到着口で会い
 皆と自己紹介をしあった。
 A子さんとももちろん初めてである。
 なおA子さんとは主人公中尾幸世さんのことで
 それ以来今に至るまでA子さんと呼んでいる。
 葛城さんはミラノ空港まで迎えに行ったぼくの車の中ですでにカメラの準備をしていて
 クレモナに着いたそのときから撮影を開始した。こうでなくては20日間であの大作は
 できなかった。
 ぼくはドラマはもとより撮影に関係するのは全くはじめてであったが
 皆スタッフが良かったのは大きな意味があった。
 これでグループで仕事を一緒にやる事がいかに大切なことか、仕事場に入り込んで
 一人で誰とも話さずヴァイオリンの仕事をしているぼくにとって大変貴重な経験になった。
 それにスタッフが良かった。
 よく撮影隊はもめ事が多いと聞いてはいたがそんな事はまったくなかった。

 当時僕はイタリア在住は10年しかなかったが一応生活にはなじんでいた。
 ところがスタッフたちは佐々木さんが海外ロケは初めてだったので
 イタリア人たちの時間への感覚が日本のそれとはまったくかけ離れているのに
 気が付かなかったようだった。
 撮影の都合によって主演者を待たしておいて昼になったのに食事も出さず
 待たせた事が何度もあった。
 ポー川でマリオの友人出演者パオロなどは待たせておいた所が
 居酒屋兼食堂だったため「ワインでも飲んでまっていて」と言われて
 昼から待っていたがパオロはへべれけになっていた。
 僕たちが着いたのは午後4時だったからである。

 ともかく思い出話を書き出すと止まらなくなる。
 写真を見ながらどの場面か想像していただきたい。
 写真はすべてフイルム写真なのでネガを見つけるのが大変である。
 ポジやネガからスキャンをしておいおい説明文とともに追加していくつもりである。
 ディレクターの佐々木昭一郎さんとは親友として今でも日本に行く度に会って
 ラーメン、カレーライス、回転寿司をはしごしている。
 かれのお陰で多くの大切な友人もできた。
 佐々木さんはもう70才を超えたのに野球のピッチャーをしている。
 この間は友人東海林さだおさんのチームと対戦したそうだ。勝敗は知らない。
 後楽園球場でだ。嘘みたいな本当の話である。

 なお出演者の漁師でボクサーのマリオ、白馬のおじいさんパオロ、居酒屋のビッジョ、
 老人ヴァイオリン作りアントニオ、居酒屋で歌ったり楽器を演奏した人たち
 皆いなくなってしまった。
 クレモナで残っているのはルーカ少年(今はおじさん)とぼくだけである。
 一方撮影現場はいまでも変わらずそのまま残っている。
 ポー川、マリオの船、ヨーロッパ一赤い鐘楼、Duomo広場、Via del sale(塩の道)
 の道標、サン・ミケーレ教会など。
 ぼくの仕事場はもと有名な画家で歴史家、アントニオ・カンピ(1585年没)の
 仕事場だったが500年以上を経て10年前に崩壊寸前家屋と認定された。
 これを修復する金などあるわけがなくやむなくここを離れざるをえなくなった。.
 ぼくは市の中心を離れたのだがあの仕事場の全部を新仕事場に持って行って
 内部の配置も同じにしたのでPallavicino通りの前の雰囲気はそのまま引き継いでいる。
 したがっていまだにぼくの天国である。


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 川の流れロケ

参照サイト: http://bion02.hp.infoseek.co.jp/f/tv/kawano/