___ 1971年


クレモナに向かうため横浜の港から日本を出たのが1970年3月26日。
クレモナに住み始めたのが8月8日。
スペインで有り金全部を盗まれてそれでも何とかしてクレモナにたどり着いたが
ペンションの一ヶ月分を払って完全に素寒貧になった。
10月から国費でキリスト教の寄宿舎に入った。
ここは無料だったが神父たちと大げんかをしたのでおい出された。
寄宿舎は夕食後は外出禁止であったがイタリアのコンサートは夜9時が開演である。
どうしてもレオニード・コーガンを聴きたかったので神父に交渉して
11時までには戻ってくる約束をした。約束の10分前に寄宿舎のベルを押したが
扉を開けてくれない。雪の寒い夜だった。
12時に部屋に戻った時には完全に風をひいていてそれが肺炎の原因になった。
数日してぼくは寄宿舎を食,住のあてもなく飛び出した。
毎食前お祈りを拒否していた5人の大学生も同時に追い出された。
このヴァイオリンを作った頃は居酒屋の2階に住んでいた。
そこの親父が第二の父であるビッジョである。
その居酒屋に時々マントバのワイン問屋の社長が来ていた。
ビッジョをとおしてぼくの窮状を知っていた。

時は1971年のクリスマス。
2階からヴァイオリンを持ってくるように言われその場で買ってくれたのが 
ルイジ・グラデッラさんであった。150万リラ(今の価格に換算して約7万円)という
大金だった。これで缶詰のドッグフードからおさらばになった。今年2009年の始め
グラデッラさんの娘さんが工房にぼくのヴァイオリンを持って来た。
すでにルイジ・グラデッラの遺品になっているがマントバの音楽院の学生に
弾いてもらっているとのこと。懐かしい作品に巡り会えた。
修正してニスを磨いてお渡ししたが娘のフランチェスカさんは
その時ぼくの当時の名刺を見せてくれた。
そこには「クレモナでの第一号」1971年作とぼくの筆跡が残っていた。